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「鉄郎の思うがままの写真(非鉄写真)」

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2011年2月

2011年2月28日 (月)

霧島連山を背景にキハ82系特急「にちりん」が行く  1977.3.21撮影

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先週、JR西日本のキハ181系特急が退役いたしました。そのキハ181系よりひとつ前の世代のキハ82系は全国の非電化区間の花形として活躍していましたね。九州でも日豊線を中心に「にちりん」「おおよど」が走っていました。霧島の火山噴火も少し納まったようです。このまま静かにしていてくれればありがたいのですが。先日この区間を走る寝台特急「富士」を撮影した写真をアップしましたが、その反対側から撮影するとご覧のように霧島の山々を背景に撮影することが出来ました。

2011年2月20日 (日)

伯備線を行く181系気動車特急「やくも」   1978.2.24撮影

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昔のネガを整理していると、鉄道写真の撮影だけではなく、日々のいろいろなことが鮮明に蘇ってくる。先日、OLDソングのTV番組をやっていたが、昔の歌には「夜汽車」というフレーズが良く出てきませんか。人生に大きな変化があるとき、「夜汽車」に飛び乗ったことがありませんでしたか。

この写真を撮影したのは、ある女性に片思いをしていてその思いが叶うことなく、やけくそになりその晩の大垣夜行347Mに飛び乗った。どこでも良かった、ただ遠くへ行きたかった。ただそれだけで行き着いたのが伯備線だった。でも、その大垣夜行で鉄郎の人生に大きな影響を与える人ど出会っていたが、まだこのときは鉄郎ただ傷心の気持ちを鎮めるだけで伯備線で「やくも」に向けてシャッターを押していた。

2011年2月18日 (金)

寝台特急「富士」号霧島付近を行く     1977.3.21撮影

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連日、霧島連山の新燃岳の火山噴火のニュースが流れており、宮崎・鹿児島の皆様にはお見舞い申し上げます。早く火山活動が収まることをお祈りいたします。

その霧島付近を行く東京行き寝台特急「富士」号を撮影した写真をアップいたします。日本一の長距離列車で寝台特急といいながら午前に西鹿児島を発車するので寝台を使うまではかなりの時間を要しましたね。ちょうど24系25型に置き換わり白帯から銀帯に変わった頃でしたが、食堂車だけは白帯でした。牽引機はDF50、電気式の箱型ディーゼル機関車で鉄郎はこのDF50もお気に入りの機関車でした。

2011年2月14日 (月)

日鉄鉱業 羽鶴1080号機  1978.2撮影

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今日は2011年2月14日バレンタインデー、関東地方は夕方から雪となり鉄郎の家は21:00現在積雪が5cmほどになりまだどんどん降っています。明日の朝が心配です。

今から33年前の写真です。現在は京都の梅小路に保存されていますが、当時は時折火が入って運転されていた日鉄鉱業羽鶴専用線1080号機です。栃木の山奥にひっそりと息づいていたこの1080号機が運転される時に訪れた方も多いのではないですか。また、羽鶴の構内もまるで模型のストラクチャーを感じさせるいい雰囲気でした。鉄郎が初めて羽鶴に行ったのは中学2年生、それから何回か行きましたが、多分この時が最後だったような気がします。

「そうだ京都に行こう」、もう一度1080号機に逢ってみたい!

2011年2月11日 (金)

583系 特急「有明」1018M   1978.3.29撮影

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あと一月もすると、この区間から特急列車の走る姿を見ることが出来なくなる。ちょうどこの画面の背景に九州新幹線の高架が横切っている。この写真を撮影した頃はここに新幹線が走るなんて想像も出来なかったし、特急先頭車両に輝くJNRマークからJRマークに変わることさえ想像も出来なかった。

そう、ブルートレインも特急も、間もなくずべてが思い出の列車になってしまう。

2011年2月 9日 (水)

ED75700番台牽引 寝台特急「日本海」   1978.4.5撮影

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1970年代から80年代は人気がのあるといえばやはりEF58を中心とした直流電気機関車だったような気がする。今では当たり前、いやもうすでに時代遅れかもしれないが下枠交差の小さいパンタグラフの交流機関車、特に奥羽線・羽越線を中心に走っていたED75700番台はあまり人気があるととは言えなかったかもしれない。また、当時はいろいろな事情で寝台特急のHMもない寂しい時代だったようだ。しかし、寝台特急は20系から14系24系と近代化が計られており、寝台特急が北は青森から南は西鹿児島まで毎日何往復も走る一番元気な黄金期だったことは間違いないと思う。

2011年2月 6日 (日)

EF6019 東海道線で貨物列車牽引   1978.02撮影

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昔の写真を眺めていると、写っている車両のほとんどが廃車や廃止されているんだろうなと思っていると、時折いまだ現役で頑張っている車両の若かりし頃の姿が写っている。この1枚もその一つ、EF6019です。現在はJR東日本高崎支社で時折走る臨時列車を牽引して我々ファンを楽しませてくれている。

34年前の浜松機関区時代は東海道線を中心に貨物列車を牽引していた。現役バリバリの姿で、組成されている貨物列車の貨車も現在はお目にかからない車両もある。仲間(EF60)はすでにみな廃車や運よくて保存。たった1両になったEF6019。彼にとって今と昔、どっちが幸せと思えるのでしょうか?

2011年2月 5日 (土)

西鉄北九州線 若戸大橋を望む  1977.3.25撮影

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鉄郎がこの写真を撮影したとき1977年は埼玉に住んでいたが、実は生まれは福岡県の筑豊の生まれ、小学校6年の始めまでは北九州市若松に住んでいた。背景の若戸大橋は子供のころの思い出の地であり、小倉に行くときは、大概が西鉄電車に揺られて買い物などに行ったものだ。そんな、子供のころの思い出の若戸大橋と西鉄電車のカットです。

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